菅内閣はほんとうに小沢はずし内閣なのか?

鳩山政権が崩壊し、菅政権が発足した。この間の経緯については既に詳しい報道があるのでここでは述べない。
ただ、新政権の陣容を見て単純に小沢はずしと見るのは早計と思う。
鳩山辞任の理由は、結局は参議員選挙で勝つ見込みがなくなったことに尽きる。しかし後任は消去法で使い古しの菅しか残らない。新味のない首相で選挙に勝利するために、どのような味付けが必要か?それは小沢色を見た目上排除するのが一番良かっただけのことである。
この数日間、小沢外しと見られる動きが多く見られたが、これらのほとんどは小沢も入って計算づくでやっている可能性があると思う。小沢の力も政権の座にあってのことである。まず参議員選挙に勝つため、というところから考えると、民主党の主要メンバーは鳩山を含め実によい動きをしていると思う。
今回の民主党と1982年の中曽根内閣発足を比較してみる。中曽根内閣は前任の鈴木善幸が、安保条約をめぐる発言で対米関係を悪化させるなどして辞任し、田中角栄の強い影響力の元発足した。陣容は田中色が極めて強く、内務省人脈でつながっているとはいえ、田中派から後藤田正晴を官房長官に迎えた上に、幹事長にまで田中派の番頭二階堂進を据えた。これらの人事は党内最大勢力の田中派の支持を磐石にし、党内基盤を安定させることには寄与したが、翌83年10月に角栄が有罪判決を受けることで更に批判が高まり、「いわゆる田中氏の影響を排除する」という声明を発しても額面どおりにはとられず、12月の総選挙で敗北、新自由クラブとの連立に追いこまれた。
この選挙で田中角栄は圧倒的な票数で当選し、田中派もほとんど数を減らさず党内での勢力比では多くなったものの、中曽根は本格的に田中離れを始め、派内でも動揺が起き創政会旗揚げに繋がっていく。この時期、小沢は中曽根内閣への入閣や、角栄子飼いでありながら創政会旗揚げに加わるなど、既に重要な動きをしている。小沢はこの時の角栄の二の舞を避けようとしたのではないか。そして菅が言ったように「しばらく」逼塞して、選挙対策の裏方に徹するのではないか。
新首相となった菅は、市民運動家から弱小政党(と言えるほどの組織ではなかった)社民連所属の議員としてスタートをきり、かつては社民連の書記長選挙に落選したこともある。限りなくゼロに近いところからスタートして首相に上り詰めたわけとして、現実主義者であることも理由としてあると思う。ただ、そのために財務大臣になって財務官僚から教育されたと言われるように(完全に洗脳されるほど単純ではないと思うが)、ぶれない軸があるタイプの政治家ではない。軸がぶれないという点では亀井静香の方が数段上手であるが、あまりに過激で首相になったら3日でアメリカに潰されそうである(反米発言も彼一流の計算づくに違いないが)。菅は持ち前の現実主義、柔軟性をもって目の前の課題に取り組んでいく一方、裏の軸として小沢は引き続きあり続けるはずである。
誤解のないように書くが私はそのことが悪いとは思っていない。むしろ菅や反小沢の若造どもが跋扈するよりは、小沢が軸であり続けることがあと数年は必要だと考えている。そしてその間に、中露関係を強化して米国従属の状況を少しでも改善するとともに、若年層の雇用の悪化が止まらない結果少子化が止まらず、真の亡国に向けて奈落を落ちつつあるこの現況打破のきっかけを作ってほしいのである。

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